2021年10月26日火曜日

黒部峡谷鉄道 大自然と近代建築遺産の調和

Date:2021年10月24日(日)
Location:富山県黒部市
Camera:Google Pixel3 XL
終着駅です。
駅前には温泉噴水があります。
場所を知りたい方は、黒部峡谷の施設の位置関係を御覧ください。

ここから数百m歩くと、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅があります。

黒部峡谷プレミアムツアー!第2弾「黒部峡谷 出平・小屋平と名剣温泉を訪ねる旅」に参加します。

旅客営業駅以外ではこれを装着しないと出入りできないそうです。

黒部峡谷鉄道 宇奈月駅

通称:トロッコ電車
線路幅:762mm(ナローゲージ)
トンネル41本
橋21個

この車両は黒四建設の際に導入した凸型機関車を箱型に改造したものだそうです。マスコンから火花の散りやすい直接制御(ダイレクトに力が加わるので工事の際は役立った)から改良されたとのことです。

工事専用車両へ乗り込む

元々はダム工事専用鉄道でしたが、1953年(昭和28年)に地方鉄道法免許を取得して関西電力が正式に旅客運行を開始しました。その後、1971年に黒部峡谷鉄道という子会社として分離しました。
日本電力→日本発送電→関西電力→黒部峡谷鉄道


半分は河原の上にせり出した車両基地。清水の舞台みたいな構造です。
立山連峰後立山連峰という北アルプス(飛騨山脈)同士の間の狭い土地につくられています。




黒部川で発電された電力は愛本に集められたあと南砺で2手に分かれて27.5万Vで関西に送っています。北陸自動車道を走行していると猫耳のような形の鉄塔が続いていますが、それです。一部は魚津の北陸電力江口変電所へも繋がっていて電力を融通しています。トロッコは北陸電力の電気を使っていおり、間接的に黒部川水系の電力も使っていることになります。

写真は無いですが、スキー場のある山の上には「平和の像」という観音があり、台座を含めた高さが21.7mです。手の先端の標高が欅平と同じ600mです。

宇奈月ダムの建設に際して、水没する旧ルートから切り替わった新ルートの新山彦橋を渡ります。旧ルートの橋やトンネルの一部は今では遊歩道として歩けます。

宇奈月温泉は真下で湧いておらず、ここ黒薙から送られています。
温泉水はここから宇奈月温泉街(桃原)へ全長約7.5km、直径25cmの温泉パイプ(引湯管)で2000L/min送られています。


跡曳水路橋
1927年、柳河原発電所への送水を目的に掛けられました。

この他にも水路橋はあり、弥太蔵谷水路橋は宇奈月駅近くの対岸にあり道路から見えます。

このあたりより上流は中部山岳国立公園です。



出平駅
普段は絶対に降りられません。

黒部峡谷鉄道
宇奈月ー柳橋ー(仏石(廃止))ー森石ー黒薙ー笹平ー出平ー猫又ー鐘釣ー(四平(廃止))ー木屋平ー欅平

富山地方鉄道ー黒部峡谷鉄道ー下部軌道ー地下エレベーター上部軌道ーインクラインー黒部トンネルー[黒部ダム]

黒部ダムより上流を上ノ廊下、下流を下ノ廊下といいます。

プラットフォームの無い場所に降りる











ここはかつて出し平ダムの工事現場だったそう。
植樹した木がここまで成長しています。

出し平ダム

上流も下流も完全に土砂に埋まった猫又堰堤(黒一ダム)の代わりにつくられました。
黒部川は大量の土砂が流れるので、水力発電用のダムがすぐに砂防ダムと化します。そこで日本で初めて排砂ゲートを設けました。下流の宇奈月ダム(昭和44年の水害を機に造られた国土交通省のダム)も排砂ゲートがあり、連携排砂をしています。
写真のダム手前のは慰霊碑です。黒部川水系には石碑や慰霊碑17箇所あるそうです。




新柳河原発電所と音沢発電所へ水圧鉄管で水を送り発電しています。。また取水口とすぐ目の前の発電所との小さな落差でもついで程度(出力520kW)で発電しています。猫又堰堤は1995年の水害などで完全に埋まりました。鐘釣付近も10m以上川底が上がってしまいました。




ちなみちに、宇奈月温泉の「栃の湯」と黒部ルートのインクライン上部駅(地下)の間は道路が繋がっていません。駅の周辺に部分的に車が走れる箇所がある程度で、基本的にはトロッコのみです。車両はトロッコで運びます。



衝撃波を伴う雪崩「ホウ」(泡雪崩)から宿舎を守る構造物です。


流木回収クレーン













冬季歩道(雪に閉ざされる黒部峡谷へ人が行き来する歩道)は、セメントが貴重だった時代につくったからか、川の石が大量に混ぜてあります。



ムチ2 日本車両會社 昭和2年
自重:6.6t 荷重:15.0t
所有:関西電力㈱
黒一(柳河原発電所と猫又堰堤)時代の貨車
生き証人です。








オシ3 名古屋 日本車両 昭和37年
自重:10.00t 荷重:10.00t
所有:関西電力㈱
戦後の貨車はリベットではく溶接みたいです。







ED10
製造:東洋電機(1934/04)
運用:日本電力→日本発送電→関西電力→黒部峡谷鉄道

中は交換や改造されていますが、ボディは黒二や黒三当日のオリジナルだそうです(当時の塗装は真っ黒)。


奥鐘橋
黒部川本流から分岐して祖母谷川(ばばだにがわ)へ。更に奥には分岐して祖父谷(じじだに)もあります。

登山道をずっと行くと後立山連峰の稜線に出て、尾根を辿っていけば栂海新道で日本海へ出たり奥黒部や槍穂高連峰を超えて上高地へ出ることもできます。


手前:黒部川第三発電所
奥:新黒部川第三発電所
仙人谷ダムから取水しています。

黒部ルートでこれより奥にも多くの乗り物(地下エレベーター上部軌道インクライン黒部トンネルバス)があって、高熱隧道などを通って黒部ダムで立山黒部アルペンルートと繋がっています。横坑からの劔岳などの景色も綺麗です。


宇奈月~欅平は一般人が歩く道はありませんが、欅平~黒部ダムは歩いていく登山道があります。
欅平~小黒部谷の砂防工事用の道路トンネルもあります。何度も言いますが、道路は他とは繋がっていないので、車両はトロッコ電車で運搬してきます。軽自動車ならギリギリ乗るものもあります。大きい車両は分解して持ってきて組み立てます。




人喰岩
元は川沿いにあった唐松岳や白馬岳方面への登山道のみでしたが、祖母谷方面での砂防工事のために岩を削ったり橋を掛けて道がつくられました。

黒部川第三発電所の水圧鉄管と調圧水槽がみえます。仙人谷ダムから水を引いています。仙人谷ダムの標高はこの山の頂上ぐらいです。

蝦夷あじさい

名剣温泉
昔はすぐ近くの河原に源泉がありましたが、水害で露天風呂が破壊されたり源泉が埋まったりして、現在は祖母谷温泉から引湯管でお湯を引いています。

名剣温泉での食事は最高でした。旬の食材です。きのこ蕎麦も山菜の天ぷらも温泉水で茹でた豆腐(とろとろ)も美味しかったです。
紅葉の時期にオススメです。
富山県の果物も美味しい


白馬槍ヶ岳





欅平駅
黒部川本流で最も狭い猿飛峡などへ歩いて行けます。


小屋平駅
普段は絶対に降りられません。
狭いホームの両側に電車が来て怖いです。





小屋平ダム
黒部川第二発電所(猫又)に送水しています。








沈砂池の入口と出口のゲートが格納される建物です。山口文象のモダニズム建築。




沈砂池に蓋がされ、ドクターヘリなどが降りらるそうです。怪我人等をトロッコでここまで運んで富山市や黒部市へ飛ばすそう。





「ホウ」(泡雪崩)から宿舎を守る構造物です。



青緑色のクレーンはそのままトロッコに乗る大きさだそう。まずこれを送り、そのあとに分解した機材を送り、このクレーンで機材を組み立てるそうです。特注ではなく、大きさを探したらあったそうです。








普段は絶対に乗降できない小屋平駅と小屋平ダム
排砂ゲートが無いので、昭和21年の水害で大量の土砂が流れてきてダム湖が埋まってしまい、砂防ダムと化しました。
扇形の建物には水門があります。


回収した流木はかつてはここで燃やしていたそうです。しかしダイオキシンが発生するとのことで、現在はトロッコで下流へ運搬してから加工して土産にしたり粉砕して堆肥などにしているそうです。


目の前を営業列車が通過していくの新鮮。
今回のツアーは完全に参加者と企画者との信用です。


営業路線の中を歩く

















黒部川第二発電所
建築家「山口文象」の設計で、富山の建築百選です。

赤い目黒橋は猫又堰堤(黒一ダム)の上に掛けられており、堰堤自体は上流も下流も完全に土砂の下にあります。まるで単なる橋の様です。


黒部ダムから連続して繋がってきた導水管や水圧鉄管の水は最終的にここ(出し平ダムのダム湖)へ排出されるそうです。

さっきみた出し平ダム

ニホンザルの親子

右が現行ルート
左は旧ルート
旧ルートは国土交通省宇奈月ダムの建設で満水時に水没したりダムサイトに掛かることから、高い位置へルート変更されました。旧ルートの橋やトンネルの一部は遊歩道として一般開放されています。

戻ってきました。

富山地方鉄道(地鉄)(線路幅:狭軌 1067mm)宇奈月温泉駅
黒部峡谷鉄道(線路幅:ナローゲージ 762m)宇奈月駅
かつてここで物資の積替え(国鉄=JRと同じ線路幅の地鉄と、平地が確保しづらくカーブも多い峡谷を走るトロッコの線路幅が違うため、ここで貨車の積荷の載せ替えや人の乗り換えが行われる)をしていた名残で、2社の線路は隣接しています。
横は宇奈月温泉街です。




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