2018年10月14日日曜日

阿寒湖アイヌコタン

Date:2018年10月14日(日)   Loc:北海道釧路市
Cam:iPhone8
幕末から明治になった日本にはロシア帝国の脅威が北から迫っていました。日本は国境を確定するために、アジア各地と共に北海道や樺太、千島列島を開拓して、アイヌを日本人という扱いにしていきます。しかし大日本帝國の政策で急速に和人が移り住んだり開発をしたり古い伝統を破壊され、アイヌの生活様式が強制的に近代化されたり和人に土地を奪われたりしてアイヌは住む場所を追われます。そんな中、和人の前田さんという方が無償でアイヌに土地を貸したのがこのコタン(部落)の始まりだそうです。


アイヌの民芸品や料理を、アイヌの血を引く子孫や和人の関係者が営んでいます。



 厳密には、純血アイヌはもういないようですし、和人との区別もないですし、和人も元はアイヌの祖先の縄文人と大陸の血が合わさった弥生人がベースですから、日本人は皆アイヌの祖先に関係しているといっていいでしょう。追いやられてエミシと言われた人のうち北海道以北あたりの人を後にアイヌと呼ぶようになっただけ。アイヌは北方から来て本州を南方へ来てまた北へ追いやられているので元々の北方民族といえるかもしれません。ただもっと昔は、、、いや長いからやめる。



モレウ(渦巻き)
アイウシ(棘、トンガリ)
シク(モレウやアイウシで囲まれた◇)
アイヌ紋様の♥みたいな独特の渦巻き模様は、中東や北方民族といった縄文人が辿ってきたであろうルート沿いにみられ、日本に伝わってからも魔除として受け継がれてきました。縄文土器も似たような意味合いかも。また宮大工の社寺仏閣にある懸魚もこの形です。時代や地域ごとに違えど何かの目を表しているそうです。アイヌではフクロウの目です。夜でも目が効くことから森羅万象をみつめるカムイとされています。

 ここの方にアイヌのことを色々ききました。
アイヌが差別されたり、自分がアイヌと知らずに別のアイヌに差別をした歴史があったそうです。また、アイヌ語に緑というワードが無くてマリモの色を呼ぶ時に名前を作ったとか。


アイヌ語は縄文時代の日本の言葉の名残りという説があります。私たちの祖先もこの様な言葉を使っていたみたいです。今の日本語のベースは弥生時代の言葉らしく、日本各地にあった多くの言語が弥生語をベースに古墳時代くらいまでに統一されていった様です。最も大きな勢力のヤマトは勢力を拡大して、北方のエミシは追いやられてアイヌ文化を発達させていきます。弥生語ベースの日本語は当時の都である奈良県付近で当時使用していたであろう言葉が同心円状に日本各地に広まったため、琉球や薩摩、津軽といった遠方ほど古い日本語が残っているそうです。北海道など北側は長いこと和人(ヤマトを中心に天皇が収める豪族の合衆国)が積極的に進行せずエミシ(後のアイヌ)が存在したことから文化が孤立したそうです。
よく考えると今でも食生活は米と雑食ですし、家も最近までは茅葺きの家とか普通にありましたから、今も大して弥生時代と変化がないといえます。ただ技術が進んだだけです。そう考えると縄文以前と弥生以降の切り替わりは言葉も文化も変わって革新的な変化だったんですね。
阿寒湖は時間的に撮影できず
流出河川の紅葉をお楽しみ下さい。

阿寒は「ラカンブト」(アイヌ語でウグイの産卵する川の意)が語源だそうです。


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