2011年9月2日金曜日

笹団子ソフト

日付:2011年9月2日 場所:新潟県新潟市西区 黒埼PA
今回の支援活動で観てきたこと。
・連絡1つさえすれば1人でも数人でも団体でも現地へ行くことができる。
・被災者や被災地支援者のみを受け入れる旅館がある。
・信じられない早さの復興力だった。
・たった一人の判断でいち早く物資が行き渡った場所があること。
・山道にまで漂流物があった。津波が来たら、道がそこで終わっていても上を目指す必要がある。
・現在はある程度の瓦礫は片付いているが、過疎地域の農村部にはまだ手も付けられておらず、海底の砂を被った瓦礫が放置されている場所もある。
・山と海が近い被災地付近の神社は山の上に作られているものが多く、ちゃんとした階段もあり、神ではなく人を守る施設として使える。
・現地の方々は美しい。海も美しい。
・帰ってきたらまた総理大臣が変わっていた。

タレカツ丼

日付:2011年9月2日 場所:新潟県新潟市西区
うまい

にんじんアイス

日付:2011年9月3日 場所:新潟県新潟市西区
黒埼PA

クリームソーダアイスみたいな味。おいしい。

日本三景 松島

日付:2011年8月29日 場所:宮城県宮城郡松島町
旅館(ホテル?)から

石巻市沿岸

日付:2011年9月1日 場所:宮城県石巻市
最前線はとんでもない。海岸沿いの現状です。写真を拡大して御覧下さい。

この日は台風の影響で波が高かった。それでも防波堤は超えていない。対して津波は数キロ内陸にまで届いている。




被災地支援作業3日目 鮫浦

日付:2011年9月1日 場所:宮城県石巻市牡鹿町(鮎川・鮫浦・大原 等)
防波堤は機能していない。地元の人ですら、どこまでが海でどこまでが陸で、どこに何があったか分からないという。
 海底の黒い砂が数十センチの暑さで堆積している場所もある。私が作業していた場所で掘り出した瓦礫についていた砂の跡(埋まっていた部分)は1mを超えていた。

 どこに何があったかわからない。おそらく畦であっただろうという感じの部分は上の方へ行けばある。
 10mを超える津波が木もなぎ倒す。
最後のこの日は、牡蠣の養殖のための、貝殻をロープに通す作業を手伝った。途中までは雨の中作業してたが、台風の影響かゲリラ豪雨となったため中止された。
瓦礫の街の綺麗な花

震災復興支援2日目

日付:2011年8月31日 場所:宮城県石巻市(鮎川)
石巻市牡鹿町鮎川は鯨の町です。
3階まで津波が来たアパート。今は瓦礫を殆ど無いが、震災直後は瓦礫に埋もれていたそうです。
この日はディズニーオンアイスの人たち(外人から日本人まで、ステージで踊る人たち)と一緒に作業しました。1日だけ余裕があったので被災地に来たそうです。川に落ちたコンバインをロープで縛って、そのロープを数十人で引っ張って川から引きずりあげました。
ある程度の瓦礫は撤去されているが、まだの場所も多くある。
郵便局、交番、消防署 全て被災。民家は基礎だけが残る。
牡鹿復興市場
電気がまだ復旧しておらず、発電機を回して営業している店があった。

「やるっちゃ」と書かれたTシャツが売られていたので購入。離れた宮城でも「ちゃ」って同じ意味で使うことに驚き。富山でも「ちゃ」って使うし(「やるちゃ」って感じで、富山では「っ」が無いんだけど)、これも何かの縁。