撮影者:GATSUBY 撮影日:2010年1月10日 場所:富山県富山市
REJAPAN RENIPPON! The beauty of Japan and the real landscape gained by traveling. 場所や時代を超えて、度々旅したい。 Mankind defeats the new coronavirus "COVID-19".
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2010年1月23日土曜日
今
撮影日:2010年1月23日 場所:富山県射水市
富山県射水市に現在建設中の新湊大橋。工事は着々と進んでいる。完成すれば日本海側最大のブリッジとなる。田舎だから全国的に有名になることは無いはず。この橋は富山新港の右岸と左岸を結ぶ重要な橋として国と県の共同事業で建設されている。富山新港の西岸には高岡市と射水市を通る万葉線という電車の終着駅がある。東岸には何もない。だが、かつでここには1本の鉄道が有り、富山市街地と高岡市街地を市電と普通鉄道を兼ねた形で結んでいた。ところが、富山新港を建設するに当たり、今までは干潟であった部分の拡張工事が進んだ。干潟と海は小さな川の様なもので結ばれており、そこを鉄道は橋で通っていた。その川を遠って干潟内に設けられた港で漁をしていた(もちろん当時は大型船が出いりしていなかったから船は線路の下をくぐっていた)。その川は川幅が狭く、干潟内の水深も浅かった。その場所に巨大な港を作る計画が高度成長期に持ち上がった。その川を基準として、東岸はそのままで西岸を削ることで入り口が広げられ、整備が進んだ。その際に線路は東西に分断された。大型船が通るため、当時の技術では橋は作れなかった。地下道の要請があったが先送りにされてきた。その後、分断された東側が富山地方鉄道の射水線、西側が加越能鉄道の万葉線となった。射水線は1980年代に廃止、万葉線は第三セクターとして存続され現在に至る。
さて本題。写真は、港の隅に残された、かつてここに線路が有り橋で線路がつながっていた痕跡(鉄道も道路も)。その横には建設中の橋。技術の進歩で大型船舶が難なく通過出来る高さの橋を作れるようになった今、再び東西はつながろうとしている。かつての人々の営みの残骸、歴史、過去。これからの将来、未来。それが1枚の写真に詰まっていて、そういう時代を生きているわけです。それが今この瞬間ということです。この写真はそんな1枚なんです。え?1枚じゃないって?そいことゆわっしゃんなまぁ
ちなみに、美術館行ったついでに写真撮るためだけに万葉線全区間制覇してはるばる新湊まできたわけです。無料の県営渡船も乗りました。万葉線は多くがLRT車両に切り替わっていました。車内アナウンスがあの落語家の立川志の輔さんの絶妙な語だから旅に出たくなる。
これらの写真を撮った経緯なんですが、古い橋が途切れていて、その向こうには建設中の橋がありあす。それで、「「今」という貴重な瞬間を残したい」「一体全体何なんなだろう」ってふと思ったので写真をとりました。その古い橋が繋がっていた頃の人は、まさか分断されるとも思っていなかっただろうし、その分断されたとき以来に、新しい橋で再び繋がろうとしている。古い橋がそれまで残っていたのも驚きだし、その2つを同じ画面に収めることができる「今」って何か重要な意味を持っているのではないか。そう思ったわけです。もちろん新しい橋もいつかは寿命を迎え、役目を終えるだろう。カタチあるものの性ですね。それをその鉄道の土台や途切れた橋は語っているような気がします。どんなに人々の暮らしを支えたものでも、こうやって忘れ去られて意味を持たなくなる日が来るということです。時代の違うものが同じ時代に、しかも自分の目の前にあることの意味というものをこの写真は表しています。
日本語おかしいし、ややっこしいから長文やめろって?気にしられんな
富山県射水市に現在建設中の新湊大橋。工事は着々と進んでいる。完成すれば日本海側最大のブリッジとなる。田舎だから全国的に有名になることは無いはず。この橋は富山新港の右岸と左岸を結ぶ重要な橋として国と県の共同事業で建設されている。富山新港の西岸には高岡市と射水市を通る万葉線という電車の終着駅がある。東岸には何もない。だが、かつでここには1本の鉄道が有り、富山市街地と高岡市街地を市電と普通鉄道を兼ねた形で結んでいた。ところが、富山新港を建設するに当たり、今までは干潟であった部分の拡張工事が進んだ。干潟と海は小さな川の様なもので結ばれており、そこを鉄道は橋で通っていた。その川を遠って干潟内に設けられた港で漁をしていた(もちろん当時は大型船が出いりしていなかったから船は線路の下をくぐっていた)。その川は川幅が狭く、干潟内の水深も浅かった。その場所に巨大な港を作る計画が高度成長期に持ち上がった。その川を基準として、東岸はそのままで西岸を削ることで入り口が広げられ、整備が進んだ。その際に線路は東西に分断された。大型船が通るため、当時の技術では橋は作れなかった。地下道の要請があったが先送りにされてきた。その後、分断された東側が富山地方鉄道の射水線、西側が加越能鉄道の万葉線となった。射水線は1980年代に廃止、万葉線は第三セクターとして存続され現在に至る。
さて本題。写真は、港の隅に残された、かつてここに線路が有り橋で線路がつながっていた痕跡(鉄道も道路も)。その横には建設中の橋。技術の進歩で大型船舶が難なく通過出来る高さの橋を作れるようになった今、再び東西はつながろうとしている。かつての人々の営みの残骸、歴史、過去。これからの将来、未来。それが1枚の写真に詰まっていて、そういう時代を生きているわけです。それが今この瞬間ということです。この写真はそんな1枚なんです。え?1枚じゃないって?そいことゆわっしゃんなまぁ
ちなみに、美術館行ったついでに写真撮るためだけに万葉線全区間制覇してはるばる新湊まできたわけです。無料の県営渡船も乗りました。万葉線は多くがLRT車両に切り替わっていました。車内アナウンスがあの落語家の立川志の輔さんの絶妙な語だから旅に出たくなる。
これらの写真を撮った経緯なんですが、古い橋が途切れていて、その向こうには建設中の橋がありあす。それで、「「今」という貴重な瞬間を残したい」「一体全体何なんなだろう」ってふと思ったので写真をとりました。その古い橋が繋がっていた頃の人は、まさか分断されるとも思っていなかっただろうし、その分断されたとき以来に、新しい橋で再び繋がろうとしている。古い橋がそれまで残っていたのも驚きだし、その2つを同じ画面に収めることができる「今」って何か重要な意味を持っているのではないか。そう思ったわけです。もちろん新しい橋もいつかは寿命を迎え、役目を終えるだろう。カタチあるものの性ですね。それをその鉄道の土台や途切れた橋は語っているような気がします。どんなに人々の暮らしを支えたものでも、こうやって忘れ去られて意味を持たなくなる日が来るということです。時代の違うものが同じ時代に、しかも自分の目の前にあることの意味というものをこの写真は表しています。
日本語おかしいし、ややっこしいから長文やめろって?気にしられんな
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