2011年6月5日日曜日

魚津港からの夕日

 日付:2011年6月5日 場所:富山県魚津市港町
散歩。ここまで何も無いところを歩くことも今まで無かった。
こっちは古い建物。今使ってる新しい方は裏で見えない。

昭和2年頃だったか、この港をつくるときに、海を埋立てつくりたかった。しかしここの海は急激に深くなっているため、陸地を掘って港にした。そのときに偶然見つかったのが埋没林。
海面が現在よりも低かった時代、ここは杉林だった。しかし、片貝川の反乱で土砂に林が埋没してしまった。その後、海面が上昇して海底に沈んだ。(一応)特別天然記念物。
ちなみに、埋没せずに今でも海底に残っている海底林や、地上に出ている沢杉なども入善の方へ行くとある。

魚津城本丸を攻めに

 日付:2011年6月5日 場所:富山県魚津市
大火で燃え残った部分は古い町並みが残る。
このあたりは寺や神社が多すぎる。

魚津城の戦いあった場所ね。東の上杉ちゃんと西の織田ちゃんがぶつかった場所。
本丸は石垣すら跡形もなく消滅。676年前には城下町として栄えていたらしい。これは横が海の平城だが、山城も多い。
街道松が今でも残る。明治までここが街だったとは信じられない。ちなみに祭りをやってるあの通りとかは旧市街地で、戦後から高度成長期くらいまで栄えた。その後、駅前の開発が進み衰退。平成に入ると郊外型の商業施設が市の外れにできるようになり駅前も衰退(もともと何も無いけど)して再開発中。駅の東側はまだましだけど、西側は真正面がいきなり田んぼ。
北陸街道
新潟方面へ行くと、海沿いの道とメインの道に別れて、メインの道は更に黒部の三日市で上街道と下街道に分かれる。下街道は海沿いの道とほぼ並行に生地・入善経由、上街道は愛本・舟見経由。朝日町の泊でくっついて親不知を抜ける。
富山方面へ行くと、海沿いの道とメインの道に分かれる。海沿いの道は滑川。水橋経由で岩瀬方面へ、メインの道は上市・新庄経由で富山へと向かう。
この写真の場所はすべての道がここで集約されてた場所(ここだけメインストリートが1本)。
北陸街道沿いにあった古い家
あいにく蜃気楼は見えなかった。

商店街の1つ

日付:2011年6月5日 場所:富山県魚津市
都庁はどのシャッターかな。


新宿通り(魚津市新宿):ご覧のとおり寂れている。

中央通り(魚津市中央通り):同じく寂れている。祭りのやしが並んでたところ。

銀座通り(魚津市真成寺町):アーケードすらない。

文化町通り(魚津市文化町・鴨川町):車も通りにくい狭い住宅地。店すら無い。

22m道路(魚津市双葉町・末広町・本新町):道路の舗装が歪んでて、店も殆ど無い。ただちょっと無駄に広い。

以上旧市街地でした。

電鉄魚津駅

 日付:2011年6月5日 場所:富山県魚津市文化町
2012年から整備開始ということで、恐らく新築。そのまえに撮影ってこと。



永久に本日閉店しました





まっつり

 日付:2011年6月5日 場所:富山県魚津市
年々やしが減っている。

老朽化した防火建築帯
高度成長期を支えたアーケード

魚津はこういう奴ばかり。

黒部川

 日付:2011年6月5日 場所:富山県黒部市、下新川郡入善町

一級河川 黒部川

上流には関西電力や国交省のダムがある(黒部ダムなど)。
黒部市はもともと三日市町が母体となって桜井町という市だった。その後に黒部川からとって黒部市となった。そして、黒部ダムも黒部川や黒部峡谷からとって黒部ダムとなった。
そんなわけで、黒部ダムは黒部市にはありません。立山町です。
ここ重要→※2011年現在「黒部へ行く」と言うと「黒部ダム」ではなく「黒部市」へ行くことになりますのでご注意!
結論:ややっこしい。
黒部峡谷トロッコも元々宇奈月町にあったが、合併して黒部市になった。
長々しいけどこれが経緯です。

黒部川扇状地の伏流水は海岸近くの石田や生地で湧きでる。結構うまい。急流のため砂になる前に海に到達する。そのため田んぼをするにも石がごろごろあったので「石田」。掘ればポンプも無いのにどこからでも水が湧く。地面が生きているかのようなので生地(いくじ)。

川の富山側が黒部市、新潟側が下新川郡入善町・朝日町。

ここは海岸が引いてできた地形とは違い、平野をつくること無く、海まで全てが扇状地です。平野の中には河岸段丘もあり、農業するのにサイホンで水を持っていってるとか(コンクリートで密閉した太い水道が所々にある)。




宇奈月麦酒ソフト

日付:2011年6月5日 場所:富山県黒部市宇奈月町
ビールの味(ノンアルコール)