2011年3月13日日曜日

停電した駅

日付:2011年3月11日 場所:神奈川県三浦市
光も音も無い。寒い満員の車内。死んだ駅

地震のあと、蒼く晴れていた空が急に変な雲ができはじめて、夕方には雨が降ってきた。

一斉に沖へ逃げる船

日付:2011年3月11日 場所:神奈川県横浜市

両手放しで長い間真横向いて高速道路を運転中に堂々と撮影
千葉方面で大きな煙が見えた。台場方面では黒い煙り。
余震多すぎ

大地震直後

日付:2011年3月11日 場所:神奈川県横浜市
太平洋東北沖地震(東日本大震災)

橋のジョイントがダンダンダンダンって揺れてた。立っている場所もぐにゃんぐにゃん。すぐ停電

東北地方太平洋沖地震(宮城・茨城・新潟・長野・東京など、震源多数)

まわりの工場のあちこちから煙が上がり始めた。
警察や自衛隊のヘリが飛び交う。
飛行機が降りれなくなる。

ここは震度5強で、今まで生きてきた中で最も強い揺れだった。信じられない。


2月27日に衛星写真に地震雲が出ていたので一ヶ月後くらいに大きいのが起こると思っていたら。

地震発生数分前(ベイブリッジ)

日付:2011年3月11日 場所:神奈川県横浜市(大黒PA)
ここまでは平和だった。いい天気で、この後起こることなど予想もしてなかった。この日は午前は寝てて午後から活動し始めたので、この時間帯はすがすがしかった。北陸とは違って爽やかな天気。お土産を買った後に2階のデッキへ上がって写真を撮ってたら急に揺れ始めた。最初は上を通ったトラックのせいで、こういうわざと揺れて衝撃を吸収する構造なのだと思った。しかし、揺れはだんだん大きくなり、床や橋のジョイントがずれはじめた。揺れは1分半ほど続いたように思える。とっさに衛星写真で地震予知してた宮城と岩手の県境沖が震源だと悟った。神奈川でこれだけの揺れだとすれば、そうとうマグニチュードは大きいはずだと思い、震度は間違いなく7だと思った。急いで建物から出ようとするが、電気が止まって2階の自動ドアがあかない。階段で下へ降りると偶然1階のドアは開いたまま止まっていた。車へ戻るとテレビをつけた。全てのチャンネルが地震についてだった。幸いガソリンは8割以上あったので、しばらくパーキング内で様子を見てた。しかし、大津波警報だでたため、埋立地で横が海のこの場所にいてはいけないと思い、ベイブリッジを渡ってとりあえず目的地の西へ行った。「通行止め ここで下りよ」の表示を何度も無視して高速でいった。