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沖縄建造物初の国宝で、琉球王国時代の墓の1つです。
洗骨文化の琉球は、王の死後に遺体を埋葬し、3年くらいしてから取り出して骨を洗って再び骨壷に埋葬していたそうです。その埋葬場所かここ。
日本本土もかつては洗骨文化だったそうですが、仏教の伝来と共に火葬へと変化していったそうです。
1501年、尚真王がっちの尚円王の遺骨を改葬(洗骨後の安置)をするために築かれ、第二尚氏王の陵墓となったそうです。
墓室は3つにわかれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には限られた家族が葬られたそう。
ローマの建築も化粧石はこちらですね。
沖縄戦で大きな被害を埋受けたそうですが、1974年(日本復帰後)から3年余りの歳月で修復工事が行われたそう。
石積みは、多くは相方積み(亀甲乱積み)で、門の周りなどは布積みでした。布積みは、1個が抜けても周りが崩れることのない積み方です。また布積みも一部を鍵の字型に組むことで崩れにくくしています。
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