Cam:Canon EOS Kiss X5
京阪 三井寺駅の前の前がもう琵琶湖疏水の取入口
今回は第一疎水です。第二位疎水はすぐ北側にあります。
明治期の石積みいいね。江戸時代からの城づくりの形成技術に西洋の積み方が融合している。
桜が綺麗な季節
ルートはこんな感じ(拡大推奨)
右が琵琶湖、中央が山科盆地、左上が京都盆地
琵琶湖側はこんな感じ
水位調整
江戸時代と西洋が混ざって明治になっていった正にその名残って感じ。
一番長いトンネル
トンネルまでの切り通しが深い
明治にこれ、、、、
すごい
水量すごい。
これに加えて飲料水用の第二疎水も第一の北側に並行してあるそう。琵琶湖の水を止めるって川じゃなくて疎水でやると京都終わる。
パナマ運河式の閘門
中島閘門や船頭平閘門と同じ
琵琶湖の水の変動にも対応しているんですね。
当時の国家予算の1.2倍だったかな。国家事業で行ったらしく、トンネル入り口には伊藤博文の扁額が書いてあります。
英語までみえる。
京都で洪水が起こった際に、当時は土嚢で防いだそうですけど、その後に扉がつけられて、緊急時に閉めるそうです。一度も閉められてないそうで、現在は少し下流に平成の水門が出来ています。震災などのとき、水路(橋梁もある)が破壊されても琵琶湖の水が止めどなく京都に流れ込むのを防ぐそうです。
67年ぶりということで、地元メディアも興味津々
2436mあります。
室堂の標高くらいですね。明治によく掘ったものです。
右側にみえる紐は、上が電気、下がロープです。流れに逆らって進む場合、ロープを引っぱって船を進めたそうです。
トンネル内に
元々はレンガ造りで、断面も切り立っていて、両脇に歩道があり、流れに逆らって進む場合は人がロープで引っ張ったそうですが、昭和の大改修でコンクリートの器形の断面になったそうです。
戦後すぐまで船が通ったそうで、時々当時を知るような人がいい顔して見つめていました。この写真の人は違いそうですけど。
船が通るのが70年ぶりくらいらしいんです。
日本最初の鉄筋コンクリート橋
当時は良い鉄骨が手に入らず、中には鉄道用レールが入っているとか。
疎水のトンネル出口
終点
こっから本流と支流に分かれて、支流は南禅寺水路閣などを通って別ルートで山城京都盆地を潤します。
京都御所で出火した際に、一番高い建物まで水が届く水圧を生み出すために、このポンプ室で疎水の水を更に山の上のタンクへ組み上げる、元々は宮内庁の施設だそうです。
イギリス積みのレンガ
ここまで船で来ました。もう目の前がインクライン
蹴上のインクライン
日本に鉄道が敷かれるより前にこのレールが敷かれているので、日本初の鉄道レールなのかな?それとも鉄道馬車の方が古いのかな?わからない。
京都盆地を流れる疎水本流
船溜まり
桜が綺麗
疎水のスタートからずっと辿って花見する贅沢な旅
豊富な水が鴨川に流れ込んでいない。消えている。
逆サイホンで鴨川の地下を超えているのかな?どこかへ流れ込んでいる。川の対岸にも似たような川があるので、川の立体交差らしい。ゴミとかどうするのかな。
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