REJAPAN RENIPPON! The beauty of Japan and the real landscape gained by traveling. 場所や時代を超えて、度々旅したい。 Mankind defeats the new coronavirus "COVID-19".
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2016年4月9日土曜日
2016年4月4日月曜日
平成二十八年御柱祭
Date:2016年04月03日(日) Loc:長野県茅野市
Cam:OLYMPUS SH-25MR
7年に1度ということで、花見を忘れて突発的に来ました。7年前に見れず「7年後には絶対見る」と決めてていたので。
御柱の前後に付けられたV字に人が上ったまま道路を引きずります。
宮川
川越しでここを渡ります。
写真の右から落として左から上げる。
写真の奥が下流で諏訪湖へ繋がります。
ちなみに諏訪湖は天竜川へと繋がるので溢れません。
中道自動車道くぐり
1時間半粘る
ほぼ直角ターン
危ない
上川と八ヶ岳
右側に少し見える坂が木落し坂(無料で見るとこうなります)
寒い中待てども待てども落とされず、2時間粘りましたが結局動く様子はなく諦めて帰りました。
様々な電車が通る。
写真は、485系「華」
他にも
E351系「スーパーあずさ」
E257系 「あずさ」
185系
など
引きずった跡
Cam:OLYMPUS SH-25MR
7年に1度ということで、花見を忘れて突発的に来ました。7年前に見れず「7年後には絶対見る」と決めてていたので。
御柱の前後に付けられたV字に人が上ったまま道路を引きずります。
宮川
川越しでここを渡ります。
写真の右から落として左から上げる。
写真の奥が下流で諏訪湖へ繋がります。
ちなみに諏訪湖は天竜川へと繋がるので溢れません。
中道自動車道くぐり
1時間半粘る
ほぼ直角ターン
危ない
上川と八ヶ岳
右側に少し見える坂が木落し坂(無料で見るとこうなります)
寒い中待てども待てども落とされず、2時間粘りましたが結局動く様子はなく諦めて帰りました。
様々な電車が通る。
写真は、485系「華」
他にも
E351系「スーパーあずさ」
E257系 「あずさ」
185系
など
引きずった跡
Label
のりもの
2016年4月3日日曜日
2016年3月28日月曜日
うなづき友学館(黒部市歴史民俗資料館)
Date:2016年03月27日(日) Loc:富山県黒部市
Cam:OLYMPUS SH-25MR
ひとつ前の橋
十二貫野用水から分岐(竜ノ口用水)して台地から谷を超えて向こう側の台地へ送水しました。継ぎ目は松脂、桧皮、テレピン油を練り合わせたものを接合部に使い水漏れを防いだとのこと。
金沢の辰巳用水はここの技術を用いたそうです。犀川から取水して山を超えて小立野台地へ上げて兼六園まで送り、そこから堀を超えて金沢城へ上げていました。
橋の上でジャンプしても大丈夫でした。資料館的には大丈夫じゃないと思うけど。
愛本の跳ね橋模型
江戸時代前期、防衛上の目的で黒部川には橋はありませんでした。でも超不便なので1箇所だけ架けた橋がこれ。
扇状地に無数に別れる川が、愛本では唯一1つにまとまっています。ここ1つに橋をかければ済むわけです。しかし暴れ川が一箇所に集中している場所だけあって11回も流されています。現在の橋は12代目で、ちゃんと現代の橋です。
黒部川の支流はがここで一つに合わさります。一つに合わさった水は再度扇状地で分かれていきます(現在は治水して一本ですが)。合わさる本ということで愛本。と勝手に予想。勝手です。
古くから黒部峡谷には温泉があることは知られていましたが、越後、信濃、飛騨との防衛のために一般人の入山が規制されていました。
江戸時代後期に加賀藩が一般人の入山を許し、そのときに開湯した温泉の1つが「黒薙温泉」です。その後、大正時代に電源開発が行われ、その際に7kmも下流まで湯を引いて出来た温泉街が「宇奈月温泉」です。元々は桃原と言って人は住んでいなかったそうですが、後から宇奈月平と呼ばれるようになったそうです。地名の由来は、日本電力の社長が京都宇治(宇)や奈良(奈)で見たのと同じくらい美しい月が見えたとか。
はじめは四角いやつで温泉を引いていたそうですが、途中で湯が冷えてしまったそうです。そこで、断面が丸くて細い管にしたところ流れるスピードが速くなって湯を冷まさずに温泉街へ引くことができるようになったそうです。
現在の管
想像を超えた驚きの黒さ
Cam:OLYMPUS SH-25MR
ひとつ前の橋
十二貫野用水から分岐(竜ノ口用水)して台地から谷を超えて向こう側の台地へ送水しました。継ぎ目は松脂、桧皮、テレピン油を練り合わせたものを接合部に使い水漏れを防いだとのこと。
金沢の辰巳用水はここの技術を用いたそうです。犀川から取水して山を超えて小立野台地へ上げて兼六園まで送り、そこから堀を超えて金沢城へ上げていました。
橋の上でジャンプしても大丈夫でした。資料館的には大丈夫じゃないと思うけど。
愛本の跳ね橋模型
江戸時代前期、防衛上の目的で黒部川には橋はありませんでした。でも超不便なので1箇所だけ架けた橋がこれ。
扇状地に無数に別れる川が、愛本では唯一1つにまとまっています。ここ1つに橋をかければ済むわけです。しかし暴れ川が一箇所に集中している場所だけあって11回も流されています。現在の橋は12代目で、ちゃんと現代の橋です。
黒部川の支流はがここで一つに合わさります。一つに合わさった水は再度扇状地で分かれていきます(現在は治水して一本ですが)。合わさる本ということで愛本。と勝手に予想。勝手です。
古くから黒部峡谷には温泉があることは知られていましたが、越後、信濃、飛騨との防衛のために一般人の入山が規制されていました。
江戸時代後期に加賀藩が一般人の入山を許し、そのときに開湯した温泉の1つが「黒薙温泉」です。その後、大正時代に電源開発が行われ、その際に7kmも下流まで湯を引いて出来た温泉街が「宇奈月温泉」です。元々は桃原と言って人は住んでいなかったそうですが、後から宇奈月平と呼ばれるようになったそうです。地名の由来は、日本電力の社長が京都宇治(宇)や奈良(奈)で見たのと同じくらい美しい月が見えたとか。
はじめは四角いやつで温泉を引いていたそうですが、途中で湯が冷えてしまったそうです。そこで、断面が丸くて細い管にしたところ流れるスピードが速くなって湯を冷まさずに温泉街へ引くことができるようになったそうです。
現在の管
想像を超えた驚きの黒さ
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